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遅桜、2024

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 令和6年、2024年の桜は例年になく寒い3月を経て4月半ばやっと満開を迎えました…。
 そんなこともあろうかと、否、娘の雪の日の転倒による(雪が原因ではないという)足の骨折もあって、孫の保育園の送り迎えや娘の職場への送迎などージィジィ・バァバァのルーティンががらり一変しました。二月三月は旅の計画も立たず、立てずにジッと桜の咲くのと娘の骨のくっ付くのを待つこととなった次第です。
 年初の暖冬も〜寒い冬に逆戻りしたかのように列島の桜の開花予想も大幅に狂い、2週間以上遅れたとの…コロナ巣篭もり生活も3年振りにやっと明け、日本に活気と日常が戻った矢先の「春」なのにー
 こうした中この土日は、日本列島の桜が一斉に開花し各地の人出も〜爆発したかのよう・・・インバウンドの影も薄れるほど〜テレビの画面が桜色に染まり〜各地から「花見」というあの光景あの賑わいが連日のように届くようになりました。
 ボクたちもやっと旅へと、田舎のお墓参りを兼ねて〜北杜市明野町〜高根町へ、さくら・ドライブ旅行に出かけました。混雑を避けて4月14日・日曜の朝6時に家を出発…。最初に訪れたのは…明野町浅尾の深澤家先祖のお墓…村落を一望できる絶好の位置にあり、こちらに来る際の最初に寄る一番札所のような処です。遠く南から富士山、南アルプス、八ヶ岳と眼前に広がる270度の大パノラマを眺めると、身も心も清められる感がします。要所にある桜もこの時期満開で我々夫婦を迎えてくれました。
そしてこの後、実相寺の神代桜、真原の桜並木を観て~八ヶ岳にある高原ホテルへと向かいます。

一枚のレコード

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 ここに1975年頃、僕が学生時代に購入した1枚のLPレコードがあります。
 このレコードは一枚2,300円と当時としてはかなり高額でした。1942年の実況のラジオ放送からのレコード化によるモノラル録音と表されています。
 1942年の第2次世界大戦の最中にナチ政権下のベルリンで行われた演奏会によるもので、日本では昭和17年にあたります。会場の拍手や雑音、さらに観客の咳払いも聞こえ、決して良い録音状態ではありません。ステレオ録音全盛の時代になって復刻された、貴重な録音のひとつとして『フルトヴェングラーの芸術シリーズ』のサブタイトルがついたレコードの一枚です。
 収録曲は、シューベルト作曲交響曲第9番ハ長調「ザ・グレイト」です。演奏は、ウイルへルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。

 (ーこのレコードは第2次世界大戦中の「非常事態」での演奏ということで、純粋に音楽的な意味の他に、時代のドキュメントという特殊な意味を持っていることを否定できないだろうー)

 そんな、ジャケットのライナーノート(解説)に書かれたこのレコードの立ち位置的意味もありますが、僕の感想は『音楽がもたらす奇跡と感動の名演』です。
 この曲が書かれたのは1825年頃で、古典派の集大成とも言えるベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」とほぼ同時期に当たります。シューベルトは、音楽に歌う詩情と感傷的メロディーを多く取り入れた歌曲やピアノ曲、室内楽に多くの名曲を残しています。シューベルトがロマン派の先駆者と言われる所以です。後の19世紀後半の音楽や、シューマン、ブラームスなどに多くの影響を与えています。
 そんなロマン派のエキスが染み込んだこの、シューベルトの第9番(現在ではあの「未完成交響曲」に続く「第8番」と称されています)は、初演されたのがシューベルト死後11年目の1839年でした。
 シューマンが偶然発見しメンデルスゾーンが指揮をしたという奇跡の産物です。前述の「未完成交響曲」は、さらに26年後の1865年に初演されています。19世紀末の西洋音楽のシューベルト・ブームに想いを馳せます。
 さて、この第9番の草稿を発見したシューマンは、この曲について「天国的に長い・・・」と、熱烈に賛辞の紹介文を書いています。これは単に冗長という意味ではなく、「あくことなく続く、神々しいばかりの美しさ」を意味しているとの事です。
 この音楽を、20世紀最大の指揮者といわれるフルトヴェングラーが、第2次世界大戦中のベルリンにおいて、ナチ政権の監視下で、ラジオの実況録音に選びました。
 そして2024年の現在、僕たちは『このレコード』で、80年前の聴衆と共に、その音楽を聴くことができます。
 200年前に作曲された「天国的に長い・・・」その音楽をー。

12月のシューベルト

 日曜の午後に~久しぶりに妻と銀座に出かけました。この日、久しぶりに2人で聴くコンサートがありました。
 コンサートがついでであるかのように、ちょっと早めに家を出て初冬の銀座の並木街を…みゆき通りから中央通りへぶらぶらーwindowショッピングの目の保養にとーちょっと照れながら妻と肩を並べて歩きました。
 7丁目の資生堂パーラーあたりから左(東)に折れて築地方面に向かい、行く先の目的地は朝日新聞社に併設の「浜離宮朝日ホール」。この辺りからは人通りも少なく休日のオフィス街といった佇まいで、ちょっとしたウォーキングコースです。暖冬とは言え冷たい風が頬にあたり、銀杏や枯れ葉が不規則に散って落ち葉となって、歩道を歩く先へ先へと不協和音を奏でながら乱舞していました。
 こんな日には何故かカレーが似合いそうと言ってインド料理店に入り、ナンを頬張り、シャキッとした気分でコンサート会場へ向かいました。この日のコンサートは、「田部京子ピアノ・リサイタル」です。
 田部京子さんの<浜離宮リサイタル・シリーズ20周年記念>という冠がついた、シューベルトをたっぷり聴かせる演奏会で、この日もオール・シューベルト・プログラムでした。
 即興曲作品90-1から始まり、晩年の、といってもシューベルト31歳の時の、ピアノ・ソナタ三部作のうちの2曲、19番、20番と続きます。前年に亡くなったベートーヴェンへのオマージュを感じさせる19番と、死を直前にした苦悩と焦燥感の狭間で刻む最期の希望の光と、あまりにも美しい歌が混在する20番です。
 この大傑作ソナタ2曲は、また、それを奏でる田部京子さんのこの日の演奏会は、枯れ葉の舞う年の瀬に深く染み入り、2024年への希望の光明を感じさせてくれる、回顧と希望の音楽として、この季節にふさわしい感動的なものでした。
 12月のシューベルト。深い哀しみの奥にキラリと光る歌と希望。ベートーヴェンの年末の第九の対極に置いておきたい。こちらも、僕には欠かせない明日への道標です。

〇〇年ぶり

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 今年も残すところ一か月余り。やっとコロナ禍の長いトンネルから出口の明るい光が、あの当たり前の日常が、見え、戻ってきました。
 と、思いきや、世界に目を向けると、パンデミックから戦争へと、新たな苦しみや悲劇が起こり・・・このように歴史は移り人類の営みは繰り返されていくのだろうと思うこの頃です―
 そんな中に於いて今年の話題は、私見かも知れませんが、何といっても―「野球」というエンターテインメントではないでしょうか。
 それは、すべてのスポーツや音楽の興行などで『無観客』という試練が約三年続いたこの春、堰を切ったかのように日本中が沸騰したWBCに始まりました。中でも大谷翔平という日本の一青年の活躍です。WBC後もこの一年は茶の間の話題を独占したかのように暗い話題の対極にあって、日本の夜明けに毎日のように、ホームラン第〇〇号を打ったというニュースが飛び込んできました。大谷選手の活躍はアメリカでもベーブルース以来〇〇年ぶりとか史上初とか言われまだまだ夢の途中にあります。
 日本の、今年の夏は記録ずくめの猛暑でした。そんな中で行われた全国高校野球甲子園大会。こちらも107年ぶり(前回優勝は大正5年)と言われた神奈川県の慶応高校の優勝でした。爽やかなプレーと連日の接戦による熱戦が、いくつもの時代を越えたロマンとドラマを呼ぶ感動でした。
 そして、今年の、プロ野球の締めくくりは大阪ダービーでした。阪神ファンにとっては、待ちに待った38年ぶりの優勝でした。
 野球ばかりではなく、今年はコロナ禍が去って各地で花火大会や祭りなども4年ぶりに開催され、インバウンド特需も〇〇年ぶりとかで、景気だけが取り残された感はありますが、やっと、普段の日常が戻ってきました。
『自然を愛でておいしい空気をいっぱい吸い込む』―当たり前が一番です。
―余談ですが、僕はこの夏57年ぶりに二度目の富士山登頂を敢行しました。―

コロナ禍に思う

 「2020年のこの半年は我々にとって何だったのだろう。」

 2020年は東京オリンピックの年、そのはずでした。それが、新年を迎えると入ってきた中国からのニュース。新型のインフルエンザ感染症が発症した模様という報道・・・

 例年中国では、旧正月から春節を迎えると民族が大移動を始める時期で、その大きな波はこの数年日本においてもインバウンド特需として、日本の観光地や商店などを大いに賑わせ経済効果をもたらしてきました。そして、今年もやってきました。それを運んで・・・

 百年に一度とも言われる悪夢が、2月下旬頃からじわじわと、日々、現実味を増した来ました。

 たちまち、それは新型コロナウイルスと命名され、中国武漢からイタリア、スペインとみるみる、ヨーロッパからアメリカへと地球規模のパンデミックへと拡大していきました。そして、まったく、私たちの親でさえも経験したことのない苦難の時を、今、強いられることになりました。

 そして、2020年も半年が経過しました。この間、緊急事態宣言が日本全国に発せられ、すべての学校は休校、ビジネス環境もテレワークが主流となり自粛生活が強いられます。街には喧噪・賑わいが消え外国人もいなくなりました。またあらゆるスポーツも、芝居も映画も中止となり、社会の動きがストップしました。半年を経過した今でも、芝居や音楽イベントなどの再開の目途が立っていません。

 いったい誰がこういう時代が来ることを想像できたでしょうか。

 社会の構造がリセット・振り出しに戻され、いろいろなことが制限され見直され、経済が始動し始めようとしています。あらゆる市場・産業のスケールがどれだけ縮み、新たなスタートをどこまで戻して何処においていいものか、まだまだ試行錯誤が続きそうです。

 そこで、自粛生活、ステイ・ホームとコロナ危機が続く中で、我々きょうだいは、ラインで「しりとり川柳」を綴り、本を作りました。どんな苦難の時でも夢と希望をもって、未来へのメッセージをという思いでー。またこの間私個人としては、今まで体験したコンサートをまとめインデックスを作りました。

 コロナ禍は、コロナ後もウィズ・コロナとして続くとされ、第二波、第三波も覚悟しなければなりません。新しい日常も人それぞれに模索し展開していくことでしょう。娯楽、スポーツに文化・芸術もそのありようが問われるかもしれません。

令和元年のコンサートつれづれー続

 でもやっぱりコンサートはスカッと、たまには管弦楽を聴きたいものです。渇いたのどにコーラで身体を潤すように。

 そこで昨年令和元年の一押しは、A・ギルバート指揮/都響によるマーラーの交響曲第6番でした。大型台風も去り中米貿易摩擦とか世界の政情も不安定の中…スカッとしました。

 測り知れない都響の音量と飛び跳ねる指揮者のパフォーマンスが、まるで地球を相手に闘っているが如く・・・サントリーホールの2階R席の左から右へと音の波が疾風のように流れ、時にオゾンのように渦巻き、時に虹のように~いろいろな色彩を発光し、人生そのものを体現しているかのように感じました。これぞ、大オーケストレーションの醍醐味でした。

 そしてもう一つ、スカッとして、身が引き締まる管弦楽の醍醐味と絶妙なアンサンブルを聴かせてくれたのが、M・ヤノフスキ指揮/ケルン放送交響楽団によるシューベルトの交響曲第8番≪グレイト≫でした。

 永~く続くメロディとリズムの連続を一糸乱れず奏でる弦のアンサンブルは、やっぱり本場ものーで見事なもの。ドイツのあるいはオーストリアの国歌のように謳われていました。健脚者が一歩一歩アルプス越えするかのように・・・

 また、この大曲はシューベルトの死後10年後に初演されたと言われ、あの第7番≪未完成≫は何と40年後の初演だったそうです。19世紀末のヨーロッパでワーグナーやブラームスが活躍していた頃に、シューベルトの名作がに次々に発見され、大センセーショナルを巻き起こしたことに思いをよせます。この頃は勿論SNSもなく通信手段も限られ、センセーショナルは鉄道に乗って、各国各地の劇場やホールを駆け巡っていったことを思うと、ここにも歴史のロマンを感じます。

 

令和元年のコンサートつれづれ

 今年のボクの”コンサート通い”を振り返るとー最近の傾向でもあるがー『歌』のある音楽会が増えたように思います。つまりオペラという普遍的な音楽に、時代背景など設定を自由にーその時々の歌手や舞台演出にー一喜一憂するというースリルが、ニュースのように飛び込んできて、ピックアップする作業が増えたということなのかも知れません。

 最近ヨーロッパで話題の歌手が来日するとか…○○がカルメンを歌うとか…何年ぶりのいや何十年ぶりの、時には約100年後の復活上演とか…話題が、流行のように次々にやってきます。ボクの今年の収穫は、藤原歌劇団によるロッシーニの『ランスへの旅』…詳細は別の機会に譲りますー。新しい演出にドキドキ・ワクワクして、歳を重ねてきたことも手伝って、また土曜日のマチネなど…すこぶる心地よくしあわせを実感するということも・・・

 最近のお気に入りのオペラは『ドン・ジョバンニ』です。-あの騎士団長殺しーの、です。数年前の英国ロイヤルオペラの引っ越し公演で体験したそれが、ボクのオペラ鑑賞の価値観を一変しました。モノトーンでプロジェクト・マッピングをふんだんに使って、登場人物には蜂の巣のように小部屋が与えられ二層に、三層にパズルのように動かされ・・・摩訶不思議な舞台に圧倒されました。以来観るたびに…音楽とその時代の人々の世界観に、より深いものを感じるようになったのです。

 「すべての登場人物はもがき、あがき、懸命に生きているー200年の時を超えて。そのオペラは人間社会の普遍的な物語を伝えている。」

ドン・パスクワーレ

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 10月に開幕した新国立劇場の2019/2020シーズン・オペラの2作目のー、同劇場の新制作でイタリアからセットを持ってきたという、ガエターノ・ドニゼッティ作曲のオペラ「ドン・パスクワーレ」を観てきました。

 G・ドニゼッティはシューベルトと同年の1797年生まれで、イタリアの同時代のライバル、ロッシーニやベッルリーニなどが活躍する中で70作品ともいわれるたくさんのオペラをこの世に送り出してきました。中でも晩年の傑作、オペラ・ブッファの集大成ともいわれるこのオペラは、「面白くて滑稽で、哀しい」を感じさせる作品で、ドニゼッティが最後に到達した境地であるといわれます。

 ドラマは、若い女性をめぐっての偽装結婚や財産の移譲など、笑いあり・どんでん返しあり、早口言葉ありで、フィガロやセヴィリアを思わせる内容で音楽がドラマチックに展開していきます。このような150年以上も前に作られたオペラというー舞台芸術が、新鮮で、今の時代でも充分通用し楽しめるという不思議さと、有り難さを感じた一日でした。

 終了後に抽選の「バックステージツアー」が当たり、約1時間、舞台裏や舞台に立っての見学とスタッフの説明を受けることができました。さて舞台に上がると、何と舞台が6つもあったのです。(今いる舞台と、右に左に奥に一つずつ、そして上と下に計6つの立方体がー)いろいろな装置は勿論その大きさに圧倒されました。

 そして、1階から4階までの客席(約1600席)の空間を前に立ちスポットライトを浴びて、何故か不思議な感傷を覚えました。<神々しく、眩しく、呪術の世界に引き込まれるような・・>

三度めの正直です

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 会社を設立したのが17年前の平成15年でした。バブルもはじけて平成不況と言われる頃で、世界も日本も私たち中年も混とんとしていてなかなか新しい方向も見えず、脱サラとやらに憧れ、自然の成り行きで、『独立』に、ポンと踏み出した次第でありました。

 前職の仕事を受けついでいく傍ら趣味で集めたLPレコードを紹介したり「伝承堂」サイトを立ち上げたり、IT関連事業に関しては試行錯誤の日々でした。

 そこで三度目の正直と『ホームページ』を立ち上げ、ITを駆使してもう一度自らを鼓舞して、社会の不安や疑問に挑んでみようと決意した次第であります。

都響の<ロマンティック>

 これぞ<シンフォニー>といった名曲を聴いてきました。クラシック・コンサートのマチネーです。

 アラン・ギルバート指揮による東京都交響楽団の演奏。夏の、ウィーンの空と街を醸し出す二つのシンフォニー、モーツァルトの第38番ニ長調<プラハ>とブルックナーの第4番変ホ長調<ロマンティック>です。

 一曲目の<プラハ>は、小気味よく音符が飛び跳ね~ドナウやモルダウ川の流れのようにメロディーを歌いつつ、小鳥たちが揃って巣に戻っていくように曲が閉じられる、といったモーツァルト円熟期の愛くるしい曲、そんな演奏でした。

 二曲目の<ロマンティック>は、荘厳な響きのブルックナーの大作です。遠い宇宙からアルプスを経て~ウィーンの山々や大草原にやってくるような神聖な空気感とギルバートの力強い、こぶしを振り上げて天に向かって謳いあげるような演奏が、やはりライブはいい。

 繊細な響きと迫力ある臨場感を体感した、これぞシンフォニーでした。

カルメン

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 何回目だろう、カルメン。

 5回か6回か、それ以上だろうか?・・舞台で観た日本人のカルメンは40年以上前の伊原直子(アルト)かもしれない。レコードではマリア・カラスにアンナ・モッフォに夢中になっていたころの青春時代を思い出す。カラヤン指揮によるオペラ映画もあった。ボクにとっては愛着のある永遠の名曲である。

 そんな「カルメン」の舞台を久々に観る。日曜の午後、妻を家に置いて(決して不仲でも趣味が合わないわけでもない。年に2回はコンサートかオペラに二人で出かけている。)、ひとり車で出かける。日曜は実家に老母を訪ね相手をして、少しでも兄夫婦の手助けをするのがボクの日課になっているのだが…今日は断りを入れて、ここ初台のオペラパレスへと足を運んだのである。

 そして、一幕の休憩時間にこれを記す…なんとも形容しがたいカルメンの声質だろうか。透明に近いトマトソースのような、ビオラの音色のように美しく自然に発せられる声(私見)。これに妖艶な演技が重なり、新しいカルメンを感じることができた。イタリア生まれのジンジャー・コスタ=ジャクソンというメゾ。かくごして臨んだのだがー参った。

 そして二幕は、カルメンの愛くるしい魅力が…これ程までに人間を表現した音楽があっただろうかを再認識させる。人間味あふれるカルメンの目の輝きから指先の所作、細い体をくねらせてドン・ホセを振って、エスカミーリョを誘惑してくる…強くて壊れそうなカルメン。

 そこには最後までくぎ付けの、青春時代のボクがいた。

 何といっても音楽が素晴らしい「カルメン」である。

真夏の真昼の、マーラー

 7月16日月曜日は、海の日の三連休の最後の休日・・妻は仕事とかで、一人ぶらぶら六本木のサントリーホールへ向かう。

 今年の夏は早く来て6月終わりから猛暑が続いている。西日本は記録的な豪雨でいまだ被害が収まらず多くの人々が、避難所生活を送っているという。関東地方だけが6月には梅雨も明け、猛暑、熱帯夜が続いているという。列島も地球も異常な気候変動のこの頃である。

 そんな中、ひさびさのサントリーホールへと足を運んだ・・・気も逸り、虎ノ門辺りに車を停めて時間調整に、日枝神社から赤坂見附辺りをブラブラ歩く。37度の炎天下の中午後1時半、ホールに着く。熱いオケの演奏に挑む態勢は整った。

 1曲目は、シューベルトの交響曲第二番変ロ長調。このシンフォニーはシューベルト18歳の頃の作品で、あの「魔王」と同時期の作品であるという・・・同郷の三人の大作曲家の影響下であるとは言え、ハイドンより高貴で、モーツァルトより優しくベートーヴェン(ドイツ生まれ-)より凛々しい。ボクの大好きなシンフォニーである。

 一転して2曲目は、グスタフ・マーラーの交響曲第一番ニ長調「巨人」。オケ編成もシューベルトの2倍以上で楽器の種類も管楽器、打楽器を中心にグンと増える。ホール右サイド上段席からの眺めも、左から右に展開して圧巻である。マーラーのシンフォニーは学生の頃よく聴いていたが、久々のライヴ体験である。あの東洋的なメロディと地球の自転を感じさせる圧倒的な響きに飲まれた、スカッとした真夏のひと時であった。

 また、200年に亘る、シューベルト、ブルックナー、マーラーの系譜に想いを寄せるコンサートでもあった。

ワンポイント・レッスン

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 12月23日日曜日、天皇誕生日の祝日葛西にある三階建て(打席)のジャンボなロッテゴルフへ久々繰り出す。はるか向こうの壁というか網(フェンス)まで250ヤードと、ドライバーでやっと届くかなかなか届かない毎回戦闘意欲をそそるー練習場である。カードに5000円チャージして、個人レッスンに3000円と、どうしてもドライバーのスライスを直さねばと奮発する。

 毎回、年上の友人ににとられっぱなしではいい年が迎えられない。年下のボクがいつもドライバー(運転手)だ。

 まずはグリップから、左はそのまま右はかぶせ過ぎず右に少し回転させ手のひらから握るように・・・

 バックスイングは肩を大きく回しててっぺんでフェイスは45度に。フェイスを立てると90度スライス、寝かせると180度フック。そして、ボールはやや内側に置く。

 20分のレッスンだったが見事に修正できた。後は身体に馴染むようにひたすら練習・・とのこと。30~40代の小柄で逞しく、やさしい女性のレッスンプロでした。

シューベルト、ミサの日曜日

 桜満開の4月の第二日曜日は冷たい雨で、肌寒い。上野公園入口にある東京文化会館の向かい、コーヒーサロンと称する大衆食堂のようなところで600円のカレーライスと300円のコーヒーでコンサート前のひと時の、そんな心持でこれを記している。

 久々にゆっくりした日曜の朝も、昨日までの積もった仕事をギリギリ、キッチリと仕上げた達成感のような余韻と、少し余した作業の続きをしめくくるために、会社に出て、郵便局の集荷を待って午後からこちらへと出かけた次第である。

 雨の中を篠崎からアウトランダーで40分余り、花見客で賑わう日曜の混雑を避けて上野駅からちょっと離れた春日通と清洲橋通りの交差するあたりの日曜は無料の、通称ネギ坊主といわれるパーキングを探して車を停めて、ここまで歩いて20分の・・・

 そして、15時開演のミサ曲を待つ。

 歌曲やピアノ曲、弦楽四重奏曲やシンフォニーの名曲は数知れずの”シューベルト” 少年の頃より最も多くシューベルトを好んで親しんできたボクである・・・が、シューベルトのミサ曲とのライヴ体験は初めてー期待も膨らみ雨のシトシトが、冷たく暗く哀しみのリズムを刻むように、開演の時が迫ってくる。そうして心を鎮めて、シューベルトのミサ曲のコンサートに臨もうとしている・・・